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      <title>愛を歌う日々</title>
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      <description>愛は大事ですよね</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>日本の種苗問題</title>
         <description>
1981年4月、いままで、あまり種苗問題に関連のなかった化学系を始めとする大企業が、新品種保護開発研究会を設立しました。


当研究会は、内外における新品種開発、及びその種苗に係る技術的・制度的研究及びその成果の普及等について全作物および植物を対象としています。


ついで永年の懸案であった植物新品種保護国際条約(78年新条約)(UPOV条約ともいう)に1982年9月加盟したことです。


当初は、既存の種苗会社が、その既得権を守ろうとする動きからか、日本の育種体制のなかに他分野の民間企業を組み込むことに対し、種々の反発と批判がありました。


また農林行政も軽視する傾向もあったと言われます。


しかしながら昨今、この流れは急速に変りつつあります。


その例証として、雑誌の特集号のいくつかに、日本の代表的種苗産業のトップエグゼクティブが発言するようになったことからもうかがわれます。

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         <pubDate>Sat, 05 May 2012 11:14:07 +0900</pubDate>
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         <title>決闘とフェンシング　3</title>
         <description>コンティ公の子供たちの家庭教師だった神父フルリ(1640～1723年)は、この実情を憂い、原因を探っています。


《今日、鍛練がこれほど侮蔑の対象となっているのは、ひとえにそれが名誉を得たり、金銭を稼いだりすることがない点に帰着する》。


太陽王の趣味は、明らかにこのような変遷に重要な役割を果たしています。


彼の統治は1661年から1715年まで及び、その影響はかなりのものでした。


王の権能は、かつて宗教者に属していた威光を享受していました。


王はまた、王国の諸事をきちんとやりとげるたゆまぬ労働者でした。


こうして王は、貴族たちにとって無視しえぬモデルとなり・・・


彼自らの決定によって、当時のフランスにおけるもろもろの慣行の方向を直接的に支配することになりました。


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         <pubDate>Thu, 12 Apr 2012 11:58:13 +0900</pubDate>
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         <title>中国の占い</title>
         <description><![CDATA[
歴史的な事実を完全に無視したような占いの本がいくらでもあるそうです。

もっと困るのが、このようなデタラメを読んだ人が信じてしまっていることです。

日本人は特に権威に弱く、「四千年前の中国・・・」などと言われると、中身の吟味も忘れて、頭から信じてしまい、「私は正統な中国の運命学を学んで・・・」などと始める人がいます。

「歴史など知らなくても占いはできる」と反論されるでしょう。

しかし、こんな初歩的なまちがいをしている人がはたして正しい占いができるのでしょうか。

"中国四千年のご威光"にまどわされないためには、申国での占いの歴史を簡単に知っていればいいのです。

「えっ、歴史をやるの?」と逃げ腰になっているあなたは、私と同じで世界史や日本史の暗記が大嫌いだったのでしょう。

学校の歴史の教科書と授業は、"おもしろい"というエッセンスを絞りだしてゴミ箱に捨てて、その残りカスである年代と事件を暗記するという拷問によって、完全な歴史嫌いの生徒を作ることが目的ではないでしょうか。

歴史に限らず、六年間習ってもしゃべれない聞き取れない英語とか、理科系離れをおこさせる理科とか、ほとんどの科目がこの有り様で、学校の先生には気の毒ですが、まるで学校教育全体が質の悪い冗談のようです。

★<a href="http://www.uranai-king.com" target="_blank">電話での占いはココ</a>からどうぞ。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 14 Mar 2012 10:54:58 +0900</pubDate>
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         <title>決闘とフェンシング　2</title>
         <description>17世紀になると、暴力が減少して秩序が姿を現わしてきます。


・・・その結果、おそらくゲームや身体鍛練への参加に陰りがみられるようになります。


決闘を禁止すべく定められこそすれ、実際にはほとんど遵守されることがなかったさまざまな法は、枢機卿リシュリュー(1585～1642年)によって厳しく適用されるようになりました。


事実、1627年、モンモランシー・ブトゥヴィルとシャペルの両伯爵は、決闘を禁じた勅令を公然とこれみよがしに破った替で、斬首刑に処されています。


王は宮廷に貴族たちを集め、そのため宮廷はだれもがしがみつきたいと思う場となりました。


そこから排除されるという罰は、重罪に値しました。


何しろ当時は、上流社会の作法に彩られた時代であり、趣味がもてはやされる時代でもありました。


《これら人に見られるために作りだされたすべてのものの中から、17世紀のフランス人たちは何とかひとつだけでも趣味を身につけようとした》。


・・・こうした変化全体は、以前ほど高い評価を受けることができなくなっていた身体鍛練に、さまざまな影響を及ぼしました。

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         <pubDate>Sat, 10 Mar 2012 11:57:35 +0900</pubDate>
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         <title>決闘とフェンシング</title>
         <description>《フランス各地の町村にみられた射的結社は、賞品の授与や免税その他の特典を翻めとする、さまざまな方法で奨励されていた》。


このような記録が残されています。


フェンシングも、当時の鍛練科目の一つでした。


しばしば決闘も行なわれ、対決者はそれぞれ剣と楯を手に闘ったそうです。


ルネサンス期になると、フェンシングと決闘に変化が生じ、イタリア人たちは長剣と衛剣を取って闘うようになりました。


16世紀後葉のシャルル9世の時代では、長剣だけの闘いがみられました。


しかし、やがて決闘は衰退し、人々は何かにつけてフェンシングに興じました。


《それはまさにスポーツであり、ポームの試合同様、そこにもはや憎しみは必要ではなかった》。


・・・このような言葉が残されています。
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         <pubDate>Fri, 10 Feb 2012 11:56:29 +0900</pubDate>
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         <title>心に病をもつ子ども　2</title>
         <description>お兄さんも高校受験の勉強中。


家族はみんな忙しく、よく言えばマイペース、悪く言えばバラバラの生活をしています。


だから、この女の子は、朝も夜も一年中ひとりぼっちで食事をしていました。


その子が書いた作文はこうです。


・・・


「ピンクのかわいいブラウスをきて、長いきれいな髪をあんで、にっこり笑っているわたし。


でも、これはあこがれ。


お母さんが強制的に髪を短く切ってしまうし、笑ったこともないんだもの。


先生が笑ったほうがかわいいといったから絵に描いた。


一年中ひとりぼっちのわたしのきもちは、だれもわかってくれないのです。」


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         <pubDate>Sun, 08 Jan 2012 18:56:43 +0900</pubDate>
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         <title>心に病をもつ子ども</title>
         <description>国立医療センター・小児科のある先生は、長年、多くの子どもを診察されてきました。


最近は、なにかしら心の問題を深く関わっている病気をもつ子どもが、非常に増えてきていると指摘されています。


しかも、その症例のほとんどが、家族関係に大きな原因があるのです。


このことから、家族関係がもっとも象徴的にあらわれやすい食卓の風景を子どもに描かせて、その絵から、治療の手立てに役立つ材料をひきだされています。


・・・こんな女の子がいます。


彼女は小学校3年生、心身症と診断されました。


重度の情緒不安定。


内向的な性格で笑ったことがなく、ほとんど話しもせず、友達はひとりもいません。


エンジのころはひとりでトイレに行くのが怖く、用をたすことが出来ませんでした。


父親は一流企業の重役ですが、不在がち。


母親は大卒のキャリアウーマンで、意思も性格も強く、潔癖症で「行儀が悪い」とか「だらしない」などと、日常生活では、なにかにつけ自分のやり方を口うるさく子どもに押し付けます。


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         <link>http://soundreal.info/2011/12/post_21.html</link>
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         <pubDate>Sat, 17 Dec 2011 18:52:12 +0900</pubDate>
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         <title>「うちの子にかぎって・・・」が一番危ない　2</title>
         <description>子どもたちの方では、95％が「家族とみんなで食べるほうがいい」と答えています。


さらに、この調査結果では、60％近くの子どもたちが、テレビを見ながらの夕食で、しかも食事時間の大半が、15分から30分と短い時間でした。


夜遅くまでの受験勉強で、朝はなかなか起きられない息子と、郊外に住んでいるために通勤時間が長く、どうしても朝早く出勤しなければならない父親とは、顔をあわせたくてもその時間は、まったくありません。


母親はといえば、はやくはやくとせき立てるのに忙しく、自分が朝食の食卓につくのは、みんながやっと出払った後です。


夕食もやはり同様、子どもたちは塾通いに忙しく、父親も仕事の付き合いで深夜帰宅。


手のこんだ料理をつくっても、みんなで食卓につくことも出来ません。


したがって、母親のつくる料理もつい手抜きになりがちです。


その結果、冷凍食品や加工食品の並ぶ食卓で、みなが入れ替わり立ち代り、バラバラの時間にひとりずつ食事をすることになってしまいます。


これでは、ファーストフードの店で外食をしているのとなんら変わりがありません。


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         <pubDate>Sun, 20 Nov 2011 18:27:09 +0900</pubDate>
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         <title>「うちの子にかぎって・・・」が一番危ない</title>
         <description>非行児というレッテルを貼られた子どもたちも、生まれつき特殊な子どもであったというわけでは決してありません。


ちょっとした家庭での生活のしかたの失敗、または、環境のなせるわざなのです。


「うちの子にかぎって・・・」


・・・と言っているお父さん、お母さんは、もう一度胸に手をあてて考えてみてください。


お宅の食生活も、ひょっとしたら非行児たちの食生活と大差がないかもしれません。


ひとりぼっちの食卓風景を描いた非行児たちの心の裏には、実は家族みんなで食事をしたいという気持ちが隠されていたのです。


現代の食生活の大きな欠陥は、家族がそろって食事をしなくなったことにあります。


ある食品会社が、都内の小学校高学年300人に、家庭での食生活についてたずねたところ・・・


「家族が毎日そろって夕食を食べる」のは28％、「1週間に2～3回」が25％、「1日もない」という悲しい答えも10％あったといいます。


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         <pubDate>Sun, 02 Oct 2011 18:24:46 +0900</pubDate>
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         <title>戦後の日本の関税政策　5</title>
         <description>日本の関税は国際的にどのような水準にあり、他の先進国と比べてどのような特徴をもっているのでしょうか。


先進資本主義国の関税負担率を比較したものをみるとわかりやすいです。


ここでは単純に関税収入額を総輸入額で割ることで関税負担率を算出しています。


各国ごとに輸入構成が異なるため、厳密にいえぱこうした方法には問題が残りますが、その点はここでは立ち入らないことにしましょう。


ごく大まかにいって、最近の日本の関税負担率はECと並んで世界の最低水準にあり、アメリカに比べてもはるかに低いのです。


・・・このように、こと関税に関する限り、日本はいまやもっとも&quot;開かれた国&quot;となったのです。


農業関税の特質以上にみたような関税政策全体の推移のなかにあって、ひとり農業関税のみはやや異なった性格を示しています。


関税による農業保護的機能をまだ強く残しているのです。



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         <pubDate>Mon, 19 Sep 2011 12:31:20 +0900</pubDate>
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         <title>戦後の日本の関税政策　4</title>
         <description>(4)第4期(1972年～)。


70年代に入ると日本の関税政策は新たな転機を迎えます。


世界経済のなかでの日本の比重が高まるとともに、工業製品を中心に強い競争力を備えるにいたったからです。


関税政策もかつての防御型から、自ら進んで関税率を引下げることによって相手国の関税率を引下げさせるという攻撃型に転じます。


72年の関税率の一率20%カット、東京ラウンドによる大幅引下げなどほとんど連年のように関税引下げが実施され、その結果72～83年の関税負担率は総平均3.1%、有税品平均5.5%に急低下します。


低関税時代の現出であり、関税政策の縮小です。


・・・もっとも、その背景には変動為替制への移行により、一般的に関税政策の意義が失われつつあるという実態があります。


以上のような経過を経て、最近の日本は急速に低関税国に変わりつつあるのです。

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         <pubDate>Wed, 03 Aug 2011 12:30:37 +0900</pubDate>
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         <title>戦後の日本の関税政策　3</title>
         <description>(3)第3期(1961～71年)。


関税政策が本格的に機能しはじめるのは自由化以降です。


60年に貿易為替自由化大綱が発表され自由化への第一歩が印せられます。


64年にはIMF8条国への移行が行なわれ、為替面からのコントロールが不可能となります。


ここにようやく関税が国境調整策としての本来的機能を発揮しうる条件が与えられるのです。


・・・以上を反映して61年には関税定率法の大改正が行なわれました。


この改正は、


1．輸入税表(分類)の抜本的見直し


2．関税率の大幅な引上げ


3．特殊関税制度の創設


4．従量税の導入などを内容とする、きわめて大幅なものであり、自由化に備えて国内産業保護の強化を目ざすものでした。


事実、この時期の関税率は総平均7.0%、有税品平均18.2%と大幅に引上げられます。


高関税時代の開幕です。

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         <pubDate>Sun, 10 Jul 2011 12:29:49 +0900</pubDate>
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         <title>戦後の日本の関税政策　2</title>
         <description>この時期、インフレの高進にもかかわらず関税率は据えおかれたため、計算された関税率は総平均で0.2%、有税品平均でも2.7%にすぎませんでした。


関税がまったく政策的意味をもたなかった時期です。


そして(2)第2期(1951～60年)。


講和条約の締結により関税自主権が回復され、戦後の関税政策ははじめてこの時期にスタートします。


1951年、関税定率法の大改正が行なわれるが、これは従来の従量税中心の関税体系を従価税中心に再編成するとともに、実態にあわなくなった関税率を大幅に引上げたものでした。


ただし、以上もあくまでも形式にとどまり、実質関税率は総平均3.7%、有税品平均15.2%と諸外国に比べてはむろんのこと、戦前に比べてもいちじるしく低率でした。


貿易・為替統制が実質的な輸入規制を行なっている状況下では、関税政策が機能する条件は存在しなかったのです。


・・・その意味では、この時期に関税政策はなお不在だったといっていいでしょう。

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         <pubDate>Wed, 15 Jun 2011 12:29:00 +0900</pubDate>
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         <title>戦後の日本の関税政策</title>
         <description>農業の国境調整についての日本的特殊性とは一体何でしょうか。


関税政策の展開農業関税の内容をみるに先立って、第二次大戦後における日本の関税政策の推移を概観しておきましょう。


戦後の日本の関税政策は、


(1)1945～50年の事実上の無関税時代


(2)51～60年の低関税時代


(3)61～71年の高関税時代


(4)72年以降の関税引下げ時代


・・・という、四つの時期を経過して現在にいたっています。


それぞれの時期の特徴はほぼ次のごとくです。


まずは(1)第1期(1945～50年)。


この時期は占領体制下にあって、貿易・為替の管理はすべて占領軍によって握られ、日本の関税自主権はありませんでした。


民間貿易は皆無であり、占領軍による貿易も品目ごとの複数為替レートによっていたのです。


形式的には関税は存続していたが、以上のような状況の下では事実上なきにひとしいものでした。

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         <pubDate>Sun, 29 May 2011 12:27:43 +0900</pubDate>
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         <title>現代短歌と西行</title>
         <description>和歌を通しての文化交流といってもいいでしょう。


そのひとりの使者の役割を西行の旅は結果として果たしているのです。


わたしたちの場合の旅が、自分としては楽しみであり、慰めであるとしても、観光地の人々にとっては生活を維持してゆくものとなっていることがあるようなものでしょう。


西行にとっては自分の内面的繁による旅であったとしても結果として、都の文化を地芝隻てゆく場を作る
ことになっているのです。


そしてそれは、西行にも影響を与えずにはおかなかったであろうと思われます。


現代の歌人にとって、西行にかかわる作品はかなりあります。


『西行の世界』には、近代文学における西行の受容として、幸田露伴・北村透谷・佐藤春夫たちのほか、九人の現代歌人の作品一首ずつをあげています。


その九人とは、斎藤茂吉・太田水穂・窪田空穂・尾山篤二郎・吉井勇・土屋文明・岡野直七郎・川田順・宮柊二たちですが、歌集を調べてゆけば、ほとんどの歌人が西行について一度は触れているであろうと思われます。


芭蕉が西行を尊敬し、ことあるごとに西行に思いを寄せたことはその作品や紀行文からも知られているところですが、芭蕉ほどではないにしても、現代歌人にとっては西行をぬきにして短歌の伝統を考えることはできないのです。


そうした伝統としての問題ばかりではありません。


現実生活のなかで人間らしさを貫こうとするとき、極めて身近かなものとして西行はわたしたちの前にあるのです。

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         <pubDate>Sun, 17 Apr 2011 17:38:05 +0900</pubDate>
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